激しい雨が降り続く夜。
たまに雲の合間から覗く雷光が一瞬その場を昼間のように明るくしては轟音を残して再び雲に帰る。
こんな激しい嵐の夜は決まって幸村は政宗の元を訪れた。
今夜も雷雨が雨戸を叩き、その音の中で政宗は幸村に抗う事も無く組み敷かれた。
己が立場を考えれば拒むことは許されないと分かっている。
「…っく、うぁ…ッ!」
未熟で余りにも性急な行為に開かれ切らない体は苦痛を訴え、政宗は夜具を握り締めてそれに耐えた。
声を殺そうと噛んだ唇から鉄の味が口内に広がる。
それでも幸村のその手は緩まず、更に激しく政宗を攻め立てた。
本来ならばこの行為の先に有るであろう快楽とは程遠い感覚に政宗は何度か意識を手放しかけたが
持ち前の気丈さで何とか繋ぎ止めている状態だ。
不意に幸村の動きが止まる。
ほっと緩んだ痛みに小さく息を吐く。
「……で」
「?」
「――――――」
「…!」
その言葉を理解する前に幸村が再び動き出し、思考を掻き乱す。
政宗の記憶はそこから先が白く塗りつぶされた。
*************
次に政宗が目を醒ますと、既に日は高く昇っていた。
きちんと床に寝せられ、寝衣もきちんと着せられていて昨日の情事の後は微塵も無い。
「…ちっ…寝過ごしたか…」
起き上がろうと身体を起こすとそこに残る確かな倦怠感が昨日の事は夢ではないと政宗に
言い聞かせてくる。
そんな身体を叱咤しながら床から出ると政宗は縁側に腰を下ろした。
柔らかい風がふわりと政宗の髪を揺らし、陽光は肩を滑り降りる。
穏やかな時間が其処にはあった。
幸村が去った後はいつもそう感じる。
幸村との逢瀬の回数は数えるのも馬鹿らしくなるが、共に目覚めた事は無い。
居たら居たで殴っていそうなものだが…
普段は忙しい身だろうから滅多に此処には来ない。
それなのに、雷が鳴る夜は決まって来る。
来ては飽くことがないのかと思える程に政宗を抱いては去っていく。
ふと、あの時幸村が震える声で言った言葉が気になった。
意識が朦朧としていたが、あの言葉だけはいつまでも政宗の耳に残っている。
「「行かないで」」
こいつは何を言ってる?
何処に行くというのか
何処に行けるというのか
国も仲間も全てを無くした自分が…
「何言ってんだか…」
あいつには振り回されっぱなしな気がして気に入らない。
何故、敗軍の将たる自分を助けたのか。
気まぐれの慰み物としてとしか考えられない…が。
この小さな庵から出ることは叶わないがそれ以外ならば何不自由はないし、捕虜とは思えない
格別の待遇だろう。
一日を小さな庭を眺めたり散策して過ごし、夜はたまにやってくる幸村の相手をする。
それだけが繰り返されてきた。
戦人として生きてきた政宗にはこの生活は苦痛でないと言えば嘘になる。
だが、こうして過ごす穏やかな時間は嫌いでは無い。
庭に目をやっていた政宗がふと目を細めた。
「……いい加減出てこいよ。退屈してんだ」
言うとその場の空気が一瞬揺れて、背後に降り立つ気配。
「あらら、伊達の旦那ってば知ってて人が悪い」
「他人の閨を覗いてるやつが言う台詞じゃねぇな」
そりゃそうだ、と佐助は笑う。
この態度を見ている限りはとても忍とは思えない。
だが、そんな彼も幸村直属の真田十勇士を束ねる長だ。
「今日は何の用だ」
「毎回うちの旦那が迷惑かけてるねーって」
「分かってるなら少しは何とかするように言え」
「耳が痛いねぇ」
ちっとも悪びれる様子の無い佐助に政宗は「ふん」と鼻で笑う。
実際佐助のせいではないのだから当然なのだが。
佐助は政宗の隣に腰を降ろすとそのまま後ろに倒れ込んで伸びをする。
「―――なぁ……アイツは嵐の夜が怖かったりするのか?」
不意にぽつりと政宗が何気なく佐助に問い掛けた。
「は?何で?」
「いや、嵐の夜だけは必ず此処に来るなと」
そうだ、幸村は必ず嵐の夜には政宗に会いに来ていた。
話をするでもなく、ただがむしゃらに政宗を抱いていく…。
そして翌朝には姿がない。
それがずっと気になっていた。
「あら?旦那の事、気に掛けてくれてるのかい?」
起き上がってにやにやする佐助に政宗はふんと顔を背けた。
「手酷く好き放題やられるこっちはたまったもんじゃねーんだッつー話だ」
「なぁんだ」
つまらない、と佐助は再び床に寝転がる。
「―――あ、もしかして真田の旦那はあの話を信じちゃってるのかなぁ?」
「あの話?」
「竜は雷鳴と共に空に還るって昔話あるじゃん?一度そんな話した事あったからさ」
「はぁ!?その昔話と俺とどう関係が!?」
「旦那が言ってたなぁと思って。―――伊達の旦那は青龍のような存在だって」
天空を四つに割った四方の神の頂点に立つ青き龍。
鋭い爪は雷光となって天を裂き、咆哮は轟きとなって地に降り注ぐ。
戦場を六つの爪で引き裂き、ただ一つの瞳は誰よりも何よりも先を見つめる。
その姿に幸村は政宗を重ねたのだろう。
だがその戦場の龍も戒めの炎によって地に這わされ、繋ぎ止められてしまった。
「shit!…そんな思い込みでこの扱いかよ…」
「あーホラあの子は純粋だから許してあげてー」
「………」
憮然とした顔で政宗はふんと庭に視線を戻した。
良く手入れされた小さな庭には時折小鳥が囀りを聞かせてくれる。
「ところで、今日は何の用だ?」
政宗の問い掛けに寝転がっていた佐助が僅かに反応した。
それを政宗は見逃さずにふぅっと溜め息を一つ吐く。
「……そういう事か。」
「周りがね…五月蝿くなってきちゃったって言うか」
「……なるほど」
分かってた。
いつかこうなるんじゃないかと…
既に自分は害はあっても利は全く無い存在。
生かしておけば何かしらよからぬ事を企んでいるのだろうと思われても仕方が無い。
ましてあの紅蓮の鬼と呼ばれた幸村が足繁く通い詰めるとなれば…
誑かしているのは政宗だと周りが思うのは当然だろう。
「俺としては真田の旦那の意向にそぐわない事はしたくない、だけどそれも旦那居てこそだから」
佐助の言葉に政宗は「わかってるさ」と答えると立ち上がって庭に足を下ろした。
政宗が近付いても庭木に止まる鳥は飛び立たず、政宗を見ては小首を傾げている。
「一つだけ、頼んでもいいか?」
「俺に出来る事ならね」
「………次の嵐の夜に来てくれ」
「何で?」
そこまで言って政宗がふっと笑う。
いや、笑ったように見えた。
「竜は、嵐の夜に還るもんなんだろう?」
風が一陣、政宗の薄地の着物の袖を翻す。
揺れた小枝に驚いたのか、小鳥が空に飛び立って行った。
「……ねぇ、竜の旦那はもしかして真田の旦那の事……」
「ハッ!馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。あんな暑苦しいのゴメンだね」
「じゃあ、なんで真田の旦那に?」
佐助の問い掛けにも政宗は振り返らない。
「―――俺ぁ、この待遇に対する見返りを払うだけだ」
遠くで雷鳴がする。
「ガキとの色恋沙汰に酔えるほど俺は落ちちゃいねぇよ」
「そう…じゃあいいんだけどさ」
――――嘘吐き
それを佐助は言葉にしなかった。
政宗の言葉の裏に隠された意味を見抜いていたからだ。
「うまくやれよ。」
「当たり前じゃん、んなヘマするようなドジじゃないんでね」
それじゃ、と言い残して佐助は夕闇に消えた。
空はいつの間にか厚い雲が立ち込めて合間からは雷光が見え隠れする。
「今夜も…嵐になるな」
空を見上げた政宗の表情は伺えない。
今夜は雷が鳴るだろう。
きっと幸村はまた此処を訪れるのだろう。
それが最後の逢瀬になる……
ぽつりと大きな雨粒が空を見上げた政宗の頬を濡らした。
やがて雨粒は後から後から降っては頬だけでなく彼の全てを打ち消すような激しいものとなっていく。
それでも政宗は囲われた小さな庭に立ち尽くしていた。
闇夜の稲妻が紅蓮の鎖を断ち切って地に落ちた青龍を空へ解き放つ。
それはきっと
一つの始まりと終わり。
了
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